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【シンシア】クラシックかつ遊び心のある料理で、四季折々のストーリーを描くフレンチシェフ

【シンシア】クラシックかつ遊び心のある料理で、四季折々のストーリーを描くフレンチシェフ
TOP-CHEF-INTERVIEWS
「日本の食文化を世界に発信していく」。そんなポケットコンシェルジュのビジョンから始まったインタビュー特集です。日本で活躍する一流レストランのシェフを取材し、レストランに対する思いや、料理人としての考え方などを紹介していきます。

第11回

『シンシア』石井真介

オープンから一年足らずで、予約のとれないレストランとして人気を博しているフランス料理店『シンシア』。かつて超予約困難店『レストラン バカール』のシェフとして名を馳せた石井真介氏が独立してオープンさせたレストランで、遊び心はありながらもクラシックな味わいの料理やシェフの人柄の良さが多くのファンを魅了している。今回は、そんな石井氏が歩んできた料理人としての生き方や、これからのレストラン業界に対しての想いなどについて語っていただいた。

Pick up topics
1.母からの影響で没頭した料理人への道のりで、憧れを抱いた二人の巨匠
2.伝説の超予約困難店から再起し、自ら描くストーリーのあるレストラン
3.フランス料理の地位を上げ、若手の料理人、生産者の未来に貢献する

シンシア_chef

母からの影響で没頭した料理人への道のりで、憧れを抱いた二人の巨匠

―――まず始めに、石井シェフが料理人になるきっかけからお聞かせください。

料理人になるきっかけは、母親の影響が強いです。母親は料理が上手で、私が子どものころから、いろいろとおいしい料理を作ってくれていました。ときには、料理の作り方を教わることもあって、小学生のころに友達を10人くらい呼んで誕生日会をやったことがあったのですが、そのときに母親がスポンジ生地を焼いて、生クリームを立てたものと、カットしたイチゴを用意して、あとは僕らがケーキを作っていくといった体験もしましたね。そして、小学校の高学年のころには、実家が自営業で美容院を経営しているので、母親が仕事で忙しいときは、僕が家族の晩ご飯を作ることもありました。そこで家族に「こんなの作ったの、おいしいね」って言ってもらえたときに、料理を作る喜びを感じたことをいまでも覚えています。

あとは、家にお菓子の本があったので、それを見てシュークリームを焼いたことがあったのですが、初めての割には思いのほかシュークリームの生地がすごく上手に焼きあがったんです。その生地が焼けていく様子を見て、自分でもできるんだという自信が持てました。そして、生地に生クリームなどを詰めて、僕の兄や母親に食べてもらったら、すごく喜んでくれたんです。この、シュークリームを自分で焼くことができた経験と、家族がすごく喜んでくれたことが、料理人を志す一番大きな要因になっていたと思います。

料理人って、料理を作ることが好きでないと続かない職業だと思いますので、その幼いころの経験がいまの僕を支えています。22年くらい料理人を続けてこれたのは、料理を作る楽しみと、お客様に喜んでもらえる楽しさがあったからですね。

――― レストランで修業する前は、料理の専門学校に行かれたのですか?

そうですね。服部栄養専門学校です。高校生のころは、ちょうどテレビ番組の「料理の鉄人」がすごく勢いがあった時代で、テレビに映る料理人の姿がかっこいいなって思い、あこがれたのと、その番組に服部先生が出演されていたこともあり入学しました。

そして、修業先に関しては、専門学校の講師で現在は『オー・プロヴァンソー』の中野シェフがいらっしゃった時に「フレンチで就職したいんですけど、どこで働けばいいですか?」と聞いたら、「厳しいところに身を置けばなんとかなるから上を目指したいんだったらそうしなさい」と言われました。「じゃあ、その厳しい人って誰なんですか?」と聞いたら、『オテル・ドゥ・ミクニ』の三国シェフと『シェ・イノ』の井上シェフが、その当時フランスから帰ってきて、かなり厳しいけどすごく勢いがあるって言われたんです。

そこで、実際に専門学生の友達4人を誘って『オテル・ドゥ・ミクニ』の方に食べに行ったんですね。そのときに出てきた料理が、いままでに食べたことのない組み合わせで、「すごいな、ここで働きたい」と思ったんです。いまでも鮮明に覚えていますが、その時にでた料理は、スズキのムニエルにバターをからめた温かいサクランボが添えられていました。温かいサクランボも食べたことがなかったですし、温かいサクランボを魚と一緒に食べる味わいが初めての経験でした。

そして、食後に厨房を見せていただいたのですが、厨房にある温度計が45度ぐらいで、かなり暑かったんです。そこで三国シェフが汗を流しながら、すごい勢いで働いていて、それがかっこ良かった。その三国シェフの影響がすごく強くて、レストラン業界で働くことを決めました。『オテル・ドゥ・ミクニ』では、3年間働いたのですが、三国シェフと仕事ができているというだけで、幸せなことでした。

――― 三国シェフから学んだことで、印象的だったことはありますか?

一番は仕事の仕方ですね。仕事の速さや、段取り、綺麗に仕事するということが、すごく徹底されています。店の厨房の横にはお客様が通る通路があって、入店されたお客様は皆そこを通るので、綺麗に仕事することに厳しいんです。ですから、芋の皮をお客様の前で剥くことも三国シェフから嫌がられますし、一つ仕事をしたらすぐに片付けてという仕事のリズムは、『オテル・ドゥ・ミクニ』で一番身につきました。もちろん三国シェフ自身が仕事がかなり速いです。僕がいままで見たきたシェフの中でも、三国シェフより仕事が速い人は見たことがないです。これは、三国シェフが10年間フランスにいて、3つ星レストランを何軒も周って日本に帰ってきた方なので、修羅場を潜り抜けているからだと思います。

――― いまの料理観は、どの方の影響ですか?

料理観は『ラ・ブランシュ』の田代シェフです。特に味のバランスですね。シンプルだけど、素材の組み合わせによるおいしさといいますか、そういった根幹の部分で影響を受けています。

あと、田代シェフは僕ら料理人の中では5本の指に入るくらい尊敬されている方です。料理人の間では知らない人はもちろんいないですし、僕ら世代はみんな憧れをもっています。人間的にすごく温かい方で、僕が大事にしてるお客様に対する考え方は、田代シェフから学びました。『オテル・ドゥ・ミクニ』にいたころは、余裕がなくてお客様の顔が見えていなかったのですが、田代シェフは、オーダーが入った料理をテーブル番号ではなく、お客様の名前で判別するんです。「誰々さんのところの何とかちょうだい」とか「誰々さんとこの料理いくよ」みたいな感じで。そんな田代シェフの背中を見て初めて、誰かのために料理を作るんだという気持ちが僕の中に芽生えました。ですので、三国シェフもそうですが、田代シェフの店で働かなかったら、いまはないと思います。

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田代シェフの背中を見て初めて、誰かのために料理を作るんだという気持ちが僕の中に芽生えました

伝説の超予約困難店から再起し、自ら描くストーリーのあるレストラン

―――石井シェフといえば、いまでは伝説となった超予約困難店『レストラン バカール』のシェフとして有名になりましたが、その当時はどのような想いで店づくりをされていたのですか?

『レストラン バカール』は、僕がフランスで修業した後に、『フィッシュバンク東京』でスーシェフとして2年間働いていたのですが、そこで一緒だったサービスの金山と立ち上げた店です。金山はすごく優秀なソムリエで、その当時、「ジャルックス」という日本で一番有名だったソムリエコンクールで優勝して、かなり有名になったんです。彼は独特なサービスをして、かなり癖はあるんですけど、僕とすごく相性が良くて、『フィッシュバンク東京』が150席ぐらいある夜景が綺麗なレストランだったので、いつか2人で小さな店をやりたいねって話をしていて、それを実現させた店です。

『レストラン バカール』の客層は、アッパーな層だけでなく、いろいろな人に知ってもらいたいという想いがありました。というのも、僕の友達がフレンチというジャンルは贅沢品で、だったらおいしいラーメンでいいという選択をする友達が多かったんです。あと、単純にうちの母親や父親にも、気軽に楽しんでもらえるような店にしたいなと。ですので、料理や皿にだけお金をかけて、その他のものにはなるべくお金を使わずに、ビストロ価格でレストランのクオリティーの料理を出す店をつくったんです。

ただ、ずっと彼と店をやってくつもりだったのですが、6年半経ったころに、彼が病気になってしまって、彼の奥さんも心配してまして。店を続けることが無理そうだから、誰か他のサービスを連れてきて、店をやってくれないかって頼まれたんです。ですが、金山とつくった店なので、サービスが変わってしまうとコンセプトも変わってしまうこともあり、一昨年『レストラン バカール』を閉めました。

――― その後、独立して『シンシア』をオープンされましたが、その背景を教えてください。

『レストラン バカール』のころと考え方は変わっていなくて、料理にお金をかけるためにまずは家賃を抑えないといけないと思っていました。物件探しにはかなり苦労しましたね。立地は『レストラン バカ―ル』が渋谷区の端の松濤だったので、『シンシア』も渋谷区の端の千駄ヶ谷で、割と落ち着いた住宅街を選びました。僕はこの場所がすごく気に入っています。自分にとって一番好きな空間で、店のデザインにも満足しています。

デザインは、「少し重厚感がある、大人が遊べる空間」をイメージして、『フロリレージュ』と同じデザイナーさんを紹介してもらいました。床の石、シャンデリア、ドアの真鍮の色、セッティングのナイフの色合いなど全体的に統一感を出して、一つ一つのディティールを大事にして、シックで落ち着いた空間に仕上げていただきました。

『レストラン バカ―ル』がカウンターでお客様との距離がすごく近かったので、それを大事にしていて、『シンシア』では、テーブル席ですが各テーブルをなるべくキッチンに向けています。お客様が会話を楽しみながら、劇場にいるような空間が楽しめる造りです。僕は、お客様が個々に区切られた空間ではなく、皆が一体となって、わいわい楽しんでる姿を見るのが好きなんですね。そのようなお客様がいて始めてレストランができあがると思うので、その空気感を大事にしています。

―――料理のコンセプトは何ですか?

お客様ごとにお出しするコースを決めることです。『レストラン バカール』のころは、プリフィックスに近いコースを用意して、「常連のこのお客様にはこの料理を勧める」といった感じで、その方が好きな料理を黒板メニューに書いていました。『シンシア』では、コース全体の流れを考えて作っているので、そういう点ではストーリー性といいますか、全体のバランスはすごく良いと思います。

コースのメニュー表には、ご予約のお客様の名前入りで紙に印刷していて、例えば、いまやってるテーマは「暖かな春の名残と初夏の香り」(2017年6月中旬の取材時)と題して、春の名残を少し入れながら、初夏のテイストも入れています。コースの最初の方は春の食材を使った料理を出していって、だんだん夏の食材を使った料理に変わるといった流れをつくっているんです。コースの最後の方では『レストラン バカール』のころにお出ししていた、四角いブリオッシュや小さいストーブ鍋を使ったご飯料理なども選んでいただけるようにしています。

シンシア_お品書き

一つの物語を読んでいるかのように構成されたコースのメニュー表。1枚1枚、予約者の名前を入れて手作りしている。

―――料理はどのような味づくりを目指されていますか?

僕が好きな味づくりは、複雑すぎて分からなかったり、見た目がアーティスティックだったりするのではなく、本質的な部分を外さない料理です。例えば、初来店のお客様に必ずお出ししている「金目鯛のパイ包み焼き」は、見た目は少し遊び心はあるものの、食べてみるとクラシックな味わいです。肉料理に関してはほぼ遊びを入れずにシンプルな一皿に仕上げています。お客様が新しい味を知る喜びや、おいしいなと思っていただける味づくりを大事にしています。

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クラシックなフランス料理として知られる「スズキのパイ包み焼き」をアレンジした「金目鯛のたい焼き」。アメリケーヌソースを敷き、ワッフルメーカーを使って一人前ずつ焼き上げた、アツアツのたい焼きをのせる。付け合わせは季節で異なり、2017年6月中旬の取材時はホタテや花ズッキーニなど。

シンシア_chef

焼き立てのたい焼きを客席まで持っていく演出も。最後の盛り付けはゲストの目の前で行なう。

シンシア_chef

個々に区切られた空間ではなく、皆が一体となってわいわいと楽しんでるお客様がいて始めて、レストランができあがると思います

フランス料理の地位を上げ、若手の料理人、生産者の未来に貢献する

―――オープンから一年が経ち、すでに予約がとれない人気店へと成長されていますが、今後の方向性はどのようにお考えですか?

一年経って、料理観はある程度決まってきました。一番悩んだのは、『レストラン バカ―ル』のころからのリピーターの方々が8割とかなり多いので、以前の料理をどのぐらい残すかということです。そのバランスが、最近ではようやく落ち着いてきました。

あとは、日本にもう少しフランス料理を根付かせたいですね。やはり、いまだにイタリア料理の方が馴染みやすいという傾向にあるので、普段の食事の中でフランス料理が少しでも入ってくれたらいいなと思っています。そこで、いま少し動いているのは、フランス料理ではなくフランス菓子なのですが、『シンシア』でお出ししているスフレのお店を出そうと考えています。

最近ではアメリカナイズされたパンケーキが若い子の間でブレイクして、定着していると思います。これって海外から持ってきたものなんですよね。そうではなくて、日本人のフランス料理のシェフが作るフランスの伝統的なお菓子を、一般の方に知っていただく機会が増えれば、フランス料理やフランス菓子がもっと世の中に浸透していくと思うんです。この取り組みは、フランス料理に対する恩返しと言いますか、フランス料理の地位をあげることにつなげていきたいと考えています。

それと同時に、レストラン業界にもっと若い料理人を増やしていきたいです。僕がテレビで「料理の鉄人」を見て、憧れてレストラン業界に入ってきた時代とは違って、いまの時代はレストラン業界に憧れを持つ若者が本当に少ない。だから僕らがレストラン業界をもっと若者から憧れられるような職業にしていかないと、この業界の規模が小さくなってしまいます。お金も生み出せないですし、産業としても成り立たないと思うんです。

ですので、例えば、僕がフランス料理という分野でいろいろな事業を起こしてお金持ちになったとして、若い料理人があのシェフみたいにお金持ちになりたいという動機でレストラン業界に入ってもいいと思うんです。僕らの時代は、お金を稼ぐことが悪いことという意識が少なからずあります。そうではなくて、フランス料理というジャンルでお金を生み出すことは、料理人とお客様が幸せになれる良いサイクルができると思います。僕は世界に羽ばたきたいというような想いはなくて、携わってきた人たちや、未来を担う料理人に対して、僕が三国シェフや田代シェフに憧れたように、憧れられる存在になりたいと思っています。1年経ってようやくチームワークができてきたので、これからがスタートですね。そういう若い料理人たちが憧れを持てるような、僕なりの成功というものを見せていくことがこれからやりたいことの一つです。

―――最近では、生産者に貢献していく活動も積極的に行なっていますね。

そうですね。いま取り組んでいるのは「サスティナブルシーフード」といって、水産資源の利用を持続可能なものにしていくために、都内のレストランのシェフを集めて勉強会を行なっています。現在、日本では漁獲の規制が甘いため、マグロや桜エビなどの乱獲が懸念されています。特にマグロが深刻な問題で、本当においしいマグロだけでなく、そうでないマグロまで漁獲され、安値でスーパーに並んだりしています。ですので、これらをポジティブに規制していくために、まずは本当においしいマグロの味を知っていただき、それを守るための取り組みを始めました。『シンシア』では、このようなサスティナブルシーフードを使った料理もメニューに入れています。

ラシーム_dishes

「サスティナブルシーフード」をテーマに、生のマグロにフレンチのニュアンスを加えた一品。脂がのった本マグロと根セロリを組み合わせ、エシャロットビネガーとカラマンシーの果汁で酸味をプラス。仕上げは卓上で、エクストラバージンオイルとマドラススパイスを液体窒素でパウダー状にしたものを振りかける。

あとは、生産者に感謝の気持ちを持って食材を扱うようにしています。昔は、野菜や魚は築地から買っていたのですが、現在はその多くを産地直送の食材に切り替えています。『シンシア』では、金沢や千葉の銚子、和歌山など、いろいろなところから食材を仕入れていて、個人的な付き合いをすることで、生産者さんに対する感謝の気持ちを伝えながら、“顔の見える食材”を使っています。そうすることで生産者さんが潤うことに繋がるんです。特に野菜などは、どれだけおいしいものを作っても、それを業者が安い値段で買い上げてしまったら、その農家さんの野菜の価値が下がってしまいます。それを僕らが、この農家さんの野菜はおいしいから直接、しかも高く買うことでその価値を上げることもできます。いま僕らがやらなければならないのは、そういった取り組みです。少しでも生産者に支えになるような仕事を僕らはするべきなのかなと思います。

シンシア_外観

〈シェフからの一言〉
オープンから1年が過ぎて、スタッフも揃い、良いチームワークができてきました。ここからスタッフ一丸となって、お客様がいつも笑顔で楽しんでいただけるレストランを目指し、日々邁進してきます。『シンシア』を通じて、フランス料理をもっと身近に感じていただけたら幸いです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。


【聞き手・文】白石直久
【撮影】キミヒロ


『シンシア』へのアクセス〉


東京メトロ副都心線「北参道」駅3番出口より徒歩3分

シンシア_外観東京・千駄ヶ谷の閑静な住宅街の通りから、階段を下った地下1階に店を構える。
シンシア_外観代官山にあるデザイン会社、株式会社エスキスが内装を手掛ける。全ての客席からキッチンを見渡すことができるライブ感が売りの一つ。
シンシア_内観入口のドア一面に大理石を使うことで、シンプルで高級感を漂わせるファサードに。季節や天候によって、外のテラス席も開放することも。
Restaurant Data
店名: シンシア
住所: 東京都渋谷区千駄ヶ谷3-7-13 原宿東急アパートメントB1
営業時間: 18:00~21:00(L.O.)
定休日: 日曜日 第1、第3、第5月曜日